幸せのおむすび物語
2、お米栽培方法
1、お米づくりの歴史
3、日本におけるお米づくり
4、日本の気候と稲作
5、日本のお米 ~ジャポニカ種~
その壱 おむすびの起源
2、あなたは、ごはん派?
1、お米はパワーの源
その弐 お米の栄養価
2、おむすびの変遷
3、おむすび具材の変化
4、日本人とお米の関係の深さ
その参 おむすびと日本人
1、弥生時代からおむすびの存在
1、お米づくりの歴史
数万年前、人々は木の実などの採集や狩りで生活を営んでいました。
しかし狩猟による生活は食料の確保がとても不安定なものでした。
そこで人類は農耕を編み出します。
狩猟生活から農耕生活へ変化したことで安定して食料を確保出来るようになり、人類は繁栄し文明は発展していきました。
お米、小麦、とうもろこしの3種は特に”世界三大穀物”と呼ばれ人類の歴史に重要な役割を果たしてきたのです。
現在、お米の生産量は世界的に見ると小麦に次いで二番目に多く、米生産の約90%が日本・朝鮮半島・中国・東南アジアほぼ全域とインド・バングラディッシュ等のアジアが占め、アジア以外ではイタリア・スペイン、南アメリカのブラジルやコロンビア、アフリカのエジプトやセネガルでも稲作が行われています。
お米の生産性は小麦の10倍と非常に高くアジアの豊富な人口を支え独自の文化を育んできました。
小麦は1粒に対し20粒程しか収穫できないのに対してお米は1粒から200粒が取れるのです。
また稲作は二期作も可能なのですが、麦は連作できず、三圃制度がとられました。
ただし稲作は、夏季にまとまった降雨量と日照を必要とする為、アジア以外の地域では広まらなかったのですね。
2、お米栽培方法
●水稲
稲の水田による栽培を水田稲作と呼び、水田で栽培するイネを水稲(すいとう)と言います。
田に水を張り(水田)、底に苗を植えて育てる。日本では、種(種籾)から苗までは土で育てる方が一般的ですが、東南アジアなどでは、水田の中に種籾を蒔く地域もある。深い水深で、人の背丈より長く育つ栽培品種もあります。畑よりも、水田の方が品質が高く収穫量も多く連作障害も起き辛いため、定期的な雨量のある日本ではほとんど水田を使っています。
●陸稲
畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)と言います。
水稲では殆ど起きませんが、同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生します。
水稲に比べて草型が大きく、葉身が長大で根系が発達しており、粒も大きめに育ちます。また、収穫率・食味は落ち(特に粳米)ますが、水田を作らずに畑に作付けできるので育成が容易であることが特徴です。治水の問題で水田が作れない地方、国において栽培されています。日本でも以前作られていましたが、治水が進み、品種改良されるにつれて、そのほとんど水稲に取って代わられています。
3、日本におけるお米づくり
日本におけるお米づくり・稲作の歴史は非常に古く、なんと縄文時代から始まりました。中国から九州へと伝わったとされる稲作技術によって、少なくとも3000年以上前から日本人がお米をつくっていたことが明らかになっています。最も古い田んぼ(水田)としては約2500年前のものが岡山県で発見されています。 そして縄文時代から弥生時代にかけて、お米づくりは日本中に広がっていきました。日本のお米づくりは九州地方から東へと広がりました。2200~2300年前の時点では現在の青森県まで田んぼでのお米づくりが伝わっていたことが分かっています。
4、日本の気候と稲作
日本中で広まっている稲作ですが、雨が多く降る季節(梅雨)と雨が少なく暑い季節(夏)がある日本の気候はお米作りに最適なのです。これはタイやインドネシアなどの東南アジアおよび中国などお米の生産量の多い地域に共通して言えるポイントです。
そして長期の保存が利き、なんと言っても大変美味しかったというのが、日本人の主食として広まった大きな要因と言われてます。
5、日本のお米 ~ジャポニカ種~
丸みを帯びていて、炊飯するとねっとりともちっとした食感の日本のお米はジャポニカ種と呼ばれています。
寒冷な気候に強く、様々なストレスにも強い品種ですが、栽培に大量の水を必要とし、基本的に水田稲作にしか適応しないので、栽培地域は限定的な品種です。
世界的にはマイナーな品種のジャポニカ種ですが、栽培地域として最北に位置する日本において卓越した栽培農法が確立され、特殊なコメ文化が形成されてきました。
1、お米はパワーの源
今日ではスタミナというと肉を連想しますが、肉を穢れた食物として忌み嫌った前近代の日本においてはお米こそが力の源泉でした。
お米で作られた餅を食べるとスタミナが得られると言われており、
うどんに餅を入れた「力うどん」はお米の力を表した代表的な呼称と言えるでしょう。
白米飯の事を戦後食糧難の時代に銀シャリと呼んでいましたが、この言葉は仏である仏舎利をなぞらえて出来た言葉で、古くから日本人がお米を神聖化してきた譬えと言えます。
日本では古来より、お米は主食として食べられてきましたが、力の源とされ納税の対象にもなり、特別な力が宿る食べ物として神聖化の対象ともなってきました。 おにぎりは日本の伝統食でありソウルフードと言えるでしょう。
2、あなたは、ごはん派?
お米のたんぱく質には人体に必要なアミノ酸が9割近く含まれるのに対し、
小麦には3割ほどしか含まれていないってご存知でしたか!?
もしあなたがパン党ならばパンで米と同等のアミノ酸量を採ろうとしたら米の3倍も食べなければならないんです。
英国やドイツではジャガイモを主食替わりに食べる国もあるけれど、じゃが芋はカロリーはあっても蛋白質をほとんど含まないので、パン以上に別の蛋白源を必要とするのですね。
米は、1日3合食べればカロリーの必要量を満たすことができるし、蛋白質も5合食べれば(食べ過ぎですけど)大半を満たすことができて、大豆とか魚で米に含まれないアミノ酸を少量補えば足りるんです。米と大豆(豆腐、味噌など)、野菜に少量の魚と海藻(昆布やワカメ、ヒジキ)、わずかな塩があれば十分栄養を取れてしまいます。 お米はまさに栄養分の宝庫なのです。
1、弥生時代からおむすびの存在
栄養分に優れ日本の伝統食であるおにぎりですが、その起源は古く弥生時代の後期には存在したと言われています。
現在のように三角状のおにぎりに海苔が巻かれ始めたのが、江戸時代中期、元禄の頃です。
海苔は、栄養が豊富でかつ手にご飯がつかないという便利さも相まって、おにぎりに海苔を巻く習慣が根付きました。塩を振ることで殺菌効果も相まり、おにぎりは携行食として重宝されてきました。 現在では、携行食という概念は薄らいできましたが、遠足や運動会において定番品ですし、短時間で手軽に食す事が出来る一般食として普及しています。
2、おむすびの変遷
おにぎりにのりが巻かれ、現在のような形になったのが江戸時代中期と言われています。
当時のおにぎりは携行食として重宝され、主に海苔を先に巻いた「しっとり派のおにぎり」が主流でした。
1970年代にコンビニエンスストアが日本にでき、後巻きの「パリッと派」が根付きました。
当時のおにぎりはご飯をフィルムに入れた海苔で巻いておりパリッとした食感を楽しめる反面、食べるまでの作業が煩雑でした。しかし1970年代後半、長野県のお惣菜屋さんが手軽に海苔を巻ける画期的なパッケージを考案。このパッケージに目をつけた問屋が実用化し、大人気を博しました。このヒットを受け1980年代にはコンビニ各社がパッケージを開発し、現在の形式になりました。「おにぎり=しっとりのり」というこれまでの常識を覆し、しっとり派とパリッと派を分ける一助になったと考えられます。
3、おむすび具材の変化
おにぎりの歴史において、最も大きな変化を遂げてきたと言えるのが、中具とバラエティの多さでしょう。
古来は携行食という特性から塩むすびに始まり、中具は梅や塩鮭、昆布、佃煮など味が濃く保存性の高いものが定番でした。 そこから変り種と呼ばれるツナマヨが登場し、マヨ系、肉系、洋風系、中華系、煮卵丸々一個入ったおむすび等、次々と新商品が登場し、今では数十種類の味がいつでも楽しめる様に、幅が広がりました。現在でも新商品が続々と登場し、国民食として私たちの胃袋を楽しく満たしてくれる存在となっています。
4、日本人とお米の関係の深さ
日本人にとってお米とは単なる食べ物ではありません。
様々な儀式や風習など、日々の生活様式にも深く関わる特別な存在と言えるでしょう。
春にはお米がたくさん獲れることを祈願し秋には収穫に感謝をする。
それは、日本人が生活を営んでいく上で欠かすことのできない、精神の持ちようでありましょう。
日本には四季があり、旬の食材を取り入れた四季折々の味の変化を楽しむことが出来ます。
株式会社グゥーでは、四季のあるこの国に生まれた幸せを、おむすびやお弁当、お惣菜という形で皆様に提供して行きたいと考えております。